脱「愛国カルト」のススメ 常設掲示板



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議論したい、考えたい、意見を聞きたい、というときに、お使いください。

14934361:日本に希望はあるのか ハラダ 2017/01/16 (Mon) 14:47:14
こんにちは。

愛国カルトとは全く関係のない話です。

http://lite-ra.com/2017/01/post-2849.html
http://lite-ra.com/2017/01/post-2850.html

上記リンクから飛べるページは現在、リテラで一番読まれている記事なので、既読の方もいらっしゃるかも知れませんが、作家の室井佑月さんと経済学者の金子勝さんの対談です。私はこれを読み、金子勝さんの言を見て、「おお」と思いました。

曰く、「日本経済は2017年から2019年が危ない」「しかし僕は悲観してない。こんなものが永遠に続くわけがない。しかも騙され方がこれだけ酷いと、あとの怒りも大きくなる。こんなダメな世界だからこそ、次の世界は激変が起こる。それを考えるとワクワクするところがある。現在は、激動の大転換期に立ち会っていると思っているんだ」「今は安政の大獄だと思えばいい」

少し、自分語りを許していただければ、私は今、大きな閉塞感と無力感に包まれながら生きています。少子化、原発問題、全国にあるありとあらゆるインフラの劣化、明らかに失敗だったアベノミクス、少しずつ死んでいくような人心と経済、差別主義者、偏狭な思想、劣化した知性、反知性主義者の台頭。

15年ほど前に村上龍が「希望の国のエクソダス」という小説を上梓し、その小説の中で、ある中学生がこんなことを言っています。

「この国には何でもある。だが、希望だけがない」

まさに今、私はそう思って生きています。虚無主義というわけではなく、出来るだけ私はこの国で前向きに楽しく生きていきたいと願うものですが、ふとしたときに「この国にもう希望なんてないのではないか」と思ってしまうのです。「日本、しね」ではなく、「日本、生きてんのか? 本当に?」といった感じです。

それが、上記した金子勝さんの言を見て、ほっとしたというか、そういう考え方もあるよなと鱗が落ちたというか、少し、楽になりました。

ここで私が皆さんに聞きたいのは、率直に、今の日本をどう思うかということ。希望はあると思うかということ。あるとすれば、それはどこにあるのか。そういったことたちです。

私の今の立場は「希望はあると思いたい。しかし、見つけられない」といったところです。

なるたけ楽しく前向きな議論にしたいと思っています。よろしくお願いします。
14935276:Re: 日本に希望はあるのか 度素人通俗 2017/01/16 (Mon) 21:56:07
ハラダさん

 私も正直将来には希望なんか抱けないというのが現在の気持ちです。それは政治家の言動を見ても、あるいは廃れていく文化産業を見ても(そして援助を渋る政府)、一向によくならない経済状況、減らされる年金などを見ても感じるところです。そんな中、平気で他人を誹謗中傷したり自己責任だと切り捨てるような言説がネットにはあふれている、政治家ですらそんな発言をすることに怒りを感じます。そして何よりも、そんな政治家や政党に票を入れ続ける人々に対しても問いたい部分があります。衆愚政治だとは思いたくないですが、現状はあまりよろしくありません。しかし、それでも議論できる場と人々、その意志があるだけまだ希望を探せるのではないでしょうか。
14936418:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/01/17 (Tue) 11:55:09
度素人通俗さん

レスありがとうございます。

>>そんな中、平気で他人を誹謗中傷したり自己責任だと切り捨てるような言説がネットにはあふれている、政治家ですらそんな発言をすることに怒りを感じます。そして何よりも、そんな政治家や政党に票を入れ続ける人々に対しても問いたい

そんな中、だからこそかも知れませんね。あらゆるところでルサンチマンの発露を感じます。悲劇に立ち向かえるのは、そんなネガティブなものではありえないと思うのですが、それぞれが抱える痛みを一瞬だけでもかばうものとしては、それは有効なものなのかも知れません。

>>議論できる場と人々、その意志があるだけまだ希望を探せるのではないでしょうか。

同感です。私、思うのが、希望というものは--それが何であれ--他者との関わり合いの中にしかないのではないかということです。

ただ、希望について語ってはいますが、それが何なのか私には解っていません。
14937962:Re: 日本に希望はあるのか 度素人通俗 2017/01/17 (Tue) 23:15:55
 確かに「希望」というのもどういうものなのか、考えてみると曖昧ですね。
 
 思うに、「ネトウヨ」と呼ばれる人たちがネット上で散々吐き続ける呪いの言葉もある種、閉塞感に溢れた現実で満たされない自身の「ルサンチマン」ではないでしょうか。佐藤優氏は「ネトウヨ」の言葉もそういった社会に対する意見(不満)を知る上では逆に抑え込むべきでないという旨のことをどこかでおっしゃっていました。ですからこれは私の勝手な推測ですが、経済がバブル時代のレベルでよくなればこの手の誹謗中傷も少しは減るのではないかと思ってしまいますね。
14940512:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/01/19 (Thu) 01:02:34
度素人通俗さん

>>思うに、「ネトウヨ」と呼ばれる人たちがネット上で散々吐き続ける呪いの言葉もある種、閉塞感に溢れた現実で満たされない自身の「ルサンチマン」ではないでしょうか。

まったく同意です。ただ、若い子、例えば中学生や高校生がこの手のネトウヨとなってしまうのには、桑原さんがよくおっしゃる、「マスコミや世間の知らない真実を知っている私」という快感に酔っていることと、若さからくる無知、思考回路の未熟が原因と思っています。これは昔の私への自戒もこめた考えですが。あえて保守派のオヤジみたいなことを言いますが、周りに「あほか」と一発殴ってくれる、そして愛してくれる大人がいるだけで治ってしまうと思うので、若い子には心配していません。熱病のようなものと考えています。

>>ですからこれは私の勝手な推測ですが、経済がバブル時代のレベルでよくなればこの手の誹謗中傷も少しは減るのではないかと思ってしまいますね。

そうですね。私もそう思います。経済の発達が必ずしも希望に結びつくとは思いませんが、経済の停滞は絶望の芽になるものだと思います。

>>「希望」というのもどういうものなのか、考えてみると曖昧ですね。
辞書的には希望は、未来に対する明るい展望、といったことになるようです。私はまだ、結婚をしていませんが、もし経済的に余裕があり、子供が出来、となると希望を持てるのかも知れないとは思います。しかしそれは自分の人生レベルの話であって、「果たして日本に希望はあるのか」という話になると、解らなくなります。子供たちに希望はこういうものなのだよ、と提示できるのか。

そもそもそんなこと考えなくてもいいのでしょうかね。そう思うような、そうは思わない、というか思いたくない、ような。

多分私は、大きなお世話と思われようとも、無関係の人たちにも出来るだけ幸せに、笑って生きていてほしいのだと思います。
14949656:Re: 日本に希望はあるのか 度素人通俗 2017/01/22 (Sun) 19:41:04
≫多分私は、大きなお世話と思われようとも、無関係の人たちにも出来るだけ幸せに、笑って生きていてほしいのだと思います。

 この言葉は今でこそ大変重要だと思います。小池一夫さんがこんなツイートをしておられました。https://twitter.com/koikekazuo/status/822692149451816960

困っている人に手を差し伸べることで、「おお、こんなに社会がよくなったのか、よかった、よかった」とならないもんですかねえ、本当に。
15139973:Re: 日本に希望はあるのか 度素人通俗 2017/04/14 (Fri) 21:20:56
 最近思うのですが、逆にどうやったら今政権を支持している約50%の人は何かしらの声をあげるんでしょうね。
15140126:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/04/14 (Fri) 22:25:04
国民性というものはあると思います。

難しいこと、政治のことは、御上に任せておけばいいというある種の甘えがDNAのように日本人に染みついているのを感じます。御上に任せておけばとりあえずは安心、というような。ですので、現政権を積極的に支持している人は少ないと思います。自民党を力いっぱい支持するわけではないけど、でも他の野党よりはましなのだろう・・・。といったところじゃないでしょうか。

これは日本の歴史に端を発するものなのだと思います。長い歴史の中で、日本には「主権」という概念がありませんでした。ですので、ヨーロッパのように「権力と民衆の対立」というものもほとんどなかった。だから、日本人には「権力を警戒する」という意識が希薄なのだと思います。一部左翼は戦前を「天皇主権だった」と言いますが、大嘘です。大日本帝国憲法には「天皇主権」との文字はありません。天皇はただ、その名において内閣が決定したことを許可するだけでした。

いま、本サイトのほうで、皇室=日本なのか否かという議論が一部でされています。私は法的にそれが正しいのかは解りませんが、感情的にそれを支持したいという者です。日本という大きな入れ物があり、そこに国民も皇室も政治者も溶け合っているというようなイメージでしょうか。

そして、これは何の根拠もありませんが、そういう日本人は多いのではないかとも思うのです。皇室も政治者も我々も、対立するものではなく、調和するものなのだと無意識に感じている人たちが。

そういう意味で言えば、与党に批判的な野党に対して、「調和を邪魔するたわけもの達」という思いが人々にわくのも無理はないとも思います。

とはいっても、現政権が暴走しているのは間違いなく、これをどう「あるべき姿に調和させるか?」ということは、火急の課題だとも思います。
15143979:Re: 日本に希望はあるのか 度素人通俗 2017/04/16 (Sun) 18:49:50
ハラダさん

 ありがとうございます。確かにそうかもしれませんね。古代から現代にいたるまで、いつの間にか歴史が変わっていった、一般庶民にとってはそうなのかもしれません。天災も戦争も「あるがまま」に受け入れてきたといったところでしょうか。大正デモクラシーというのもありましたが、それでも「大日本帝国憲法下で」「植民地を持って」というところで限界があったとも思えます。結局ファシズムを生み出してしまいましたし。そして敗戦を迎え民主的な憲法が制定「された」といった感じですかね。

 「調和」ということに関しても、最近読んだある冊子のなかで「分割的知性」は「東洋では重んぜられなかった」という文がありました。キリスト教的な神と人であるとかそういった白黒つける二元論よりは、曖昧であったり混在していることがアジア的なのなのかもしれません。ただ現在の政治をそれで許容してしまうと腐敗し、我々にとってよいことはあまりないので、まさにこれからどうしていくのかということですね。
15146260:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/04/17 (Mon) 18:05:23
度素人通俗さん

まさしくその通りで、西洋的民主主義とアジア的民主主義はその性質も違うのではないかと思っています。で、あるならば、希望というものにも「アジア的」「日本的」なものがある、のかも知れませんね。

日本的な、ということを書いているうちに思い出したことがあります。あれは誰の本だったかな、失念してしまったのですが、ある人が日本における「個人」というものについて考察していました。その人が言うには、「欧米ではまず、『個人』があり、それが集まって『集団』となるのだが、日本においてはまず『集団』があり、そこから排他されたものが『個人』と呼ばれる」といったものです。

その良し悪しは別として、それは一つの事実として日本に存在するものだと思います。つまり、調和することがこの国においてはまず重要なものであり、その「調和した集団」の幸福が何よりも優先されるということです。少し時代がかった例ですが、「お家(おいえ)のためなら一人や二人の犠牲くらい何たるや」みたいなことですね。

そういったことは、西欧的合理主義・個人主義から見れば、嫌悪すべき価値観の何ものでもありません。そしてまさに日本の不幸は、その西欧的価値観が流入してきたことでしょう。つまり、戦後の日本においては、いわゆる「日本的な価値観」は、流入してきた「西欧的価値観」によって否定される。しかし、だからといって「日本的な価値観」が全てなくなったわけではない。価値観の迷子になったのです。そんな中で日本は、とりあえず物質的な豊かさを追い求め、そこに幸福を見た。しかし、希望や幸福の再定義をする暇もなく、バブル崩壊、リーマンショック、3・11、そんなことたちにより、その豊かさも陰をひそめてきた。

「個人」という概念を確立させることと、「調和」を目指すということは矛盾するでしょうか? その両立に、希望が潜んでいるような気が、いま、私はしています。
15146682:Re: 日本に希望はあるのか クリス_NK Home 2017/04/17 (Mon) 21:21:15
ハラダさんがおっしゃるように、日本人の中でも大多数の国民は
これまで政治というものに無関係なままずっとずっと
普段の生活を過ごしてきたわけですけれども
(もちろん、風刺の文化はきちんとありますけれども)、
残念ながらその際の徹底した「政治からの切り離し」が
見事に後世まで影響を与えてしまったといいますか。
(例:農民を「生かさず殺さず」扱い、
 様々な反乱に関わる余力をなくしたことなど)
加えて、明治政府の超然的体質(三権分立どころか行政が越権状態)、
軍部の発言権の強さ=反乱鎮圧の容易さがあるための「諦め」など、
様々な形で国民が国家に反旗を翻して、革命を起こすなんてことが
できないような状態になっていましたし。

その後戦争に負けたことで、アメリカ風味の民主主義が導入されましたが、
ここで問題になるのが、皮肉なことに「民主主義」も
ある意味では上意下達で設けられたことなんですよね。
欧米では、民主主義による政治システムが生まれるときには
市民革命や独立戦争など、自分たちが自由を勝ち取るために
何かしらと戦って、その上で手に入れた権利ですから、
それを守ろうと必死になっているというところがあります。
言ってみれば、自分たちが近代の人間として「権力の奴隷」ではなく、
「自分たちこそが主役の個人である」という意識が
その分だけより強くあるんじゃないかなと思います。
翻って日本ではどうなのかと言ったら、そうでもないというか、
自分たちで何もしてなくても自然に与えられた権利ということで、
あまり意識せずにいつの間にか「自由になっていた」という感じです。

そうなると、自ずと政治に対する関心の度合いや、
民主主義における心構えも違ってくるのかもしれません。
自分たちの権利として保証されたものなんだからフル活用せねばという欧米、
なんとなくそういうのができてたから流されてもいいかなーという日本。
そういうことですから、欧米から「何だあれは!?」と思われ、
民主主義国家として後ろ指を指されることも多いんですけれども
(というより、正直に言ってしまえば欧米と東アジアとの間には
 相当なズレというか、欧米の中でも特にヨーロッパからすれば
 東アジアは愚かだという認識をされているといってもいい)、
それは、東アジアのものの考え方とヨーロッパのものの考え方の違いが
大きく働いているところもあり、なかなか解決しないというのはあるでしょう。
特に東アジアに少なからずはびこる「階層社会」というところに着眼すると、
「そう簡単にみんなが平等に意見を言い合って、ってのは
 かなり難しいんでないかなあ」と思いますし。
つまり、階層が下の者が上の者に遠慮してしまって、
言いたいこともうまく言えないということになるわけです。
忖度、とはまた違った概念かもしれませんけれども、
どうしてもそういう「あの人に任せてしまおう」みたいなのはあるかなと。
だからこそ、政治に関してまでも餅は餅屋とばかりに任せっきりにしてしまい、
自分たちはそれにおとなしく従うというのがあるのかもしれません。
韓国で政府に対してデモが起きているのは、これもある意味では
「中途半端に」民衆が権利を行使している姿であると私は考えています。

度素人通俗さんがおっしゃるように、文化の中に様々な「力」を見出すのは
あるのかなとも思います。その最たるものが「八百万の神」ですし。
一神教のキリスト教を重んじる欧米とは決定的に違いますね、これも。
儒教に関しても具体的な権力として1つを設けるとかではなく、
様々な形の教えがあるんだということを語っていますし、
仏教も諸派あることからわかるように、仏の道へのアプローチは
1つではないというわけですからね。
(キリスト教もその辺、カトリックとプロテスタントと、
 正教会をはじめとする諸派のやり方の違いはありますが)

ハラダさんが最後におっしゃった、
「『個人』という概念を確立させることと、
『調和』を目指すということは矛盾するでしょうか?
 その両立に、希望が潜んでいるような気が、いま、私はしています。」
という言葉には私も感銘を受けましたし、またそのためにどうするのが理想か、
結局はきちんと私たちってなんだろう、なんのために生きるのかとかいった
公民教育をもとに、他者を軽んじたりすることなく平等かつ個人として尊重する、
その上で「自分たちは意見をいうことに関してはいついかなる時でも主役である」という
明確な意識を持ち、フリーライドすることなくちゃんと自分たちで物を考える精神を
一生養い続けることこそがほんとうに必要なんだぞ、というのを
自分たちのDNAに刻み込むことなんじゃないかなって思います。
そのためには、「少し知っている人」が啓蒙を根気強く続けることが必要かなと思います。
15147073:Re: 日本に希望はあるのか 館山 2017/04/18 (Tue) 01:25:44
民衆による革命がなかったことは悪いことばかりのように言われるけどフランス革命、ロシア革命、ドイツ革命と急進的な革命は悲劇的な結果も伴うものです。
明治維新の結果は名誉革命とトルコ革命を合わせたようなものだと思います。ムスタファ・ケマル=藩閥政府という軍事的に力を手にした人が旧体制を倒すも名誉革命=江戸城無血開城のように旧体制の徹底的な破壊はしない。
そして、ケマル=藩閥政府のように独裁的な権力者の元で漸進的に参政権付与をしていく。それも悪くはないと思うのです。現に大正デモクラシーと護憲運動において民衆の行動で超然内閣が倒されたことで戦前の日本民主主義は頂点に達しました。
そういう意味でも今回のトルコの大統領権限の強化をめぐる改憲への国民投票は気にしていました。エルドアンという帝国時代から続くライバル関係のロシアのプーチンにも似た切れ者だが野望も抱える男、彼の元でケマルの精神が失われないか心配です。
15147597:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/04/18 (Tue) 11:33:00
クリス_NKさん

コメントありがとうございます。

押し付けられた民主主義であろうが与えられた民主主義であろうが、今更それを拒否できるものでもないし、とりあえず私たちはそれで生きていくしかないのであって、クリス_NKさんのおっしゃるように、明確な意思を持ち、自分たちで物事を考え続けていくことが大事なのでしょうね。

しかし、

>自分たちの権利として保証されたものなんだからフル活用せねばという欧米、
なんとなくそういうのができてたから流されてもいいかなーという日本。
そういうことですから、欧米から「何だあれは!?」と思われ、
民主主義国家として後ろ指を指されることも多いんですけれども

私はひねくれものであるからして、そういう欧米からの指摘に「やかましいわ」と思ってしまいます笑。お前らみたいなもんが作った「民主主義」というシステムが唯一無二の絶対価値みたいに思うんじゃないよ! と。そもそも、民主主義とは何なのか、それはそんなにいいものなのか、という文脈での議論がこの国に少ないのは疑問です。ヒトラーだって、もともとは民主主義の名のもとにドイツの首相になったわけであって、もっと言うと、安倍晋三さんだって民主主義のもと首相になったわけで、欠点のまったくないシステムというわけではありません。私はシールズみたいな、自分の生活費も自分で稼がず声ばかり大きい甘えた学生の集団は嫌いですが、それでも彼らが叫んだ「民主主義ってなんだ!?」というコピーは気に入っています。その後に続く「これだ!」というのは余計ですが。

ただ、あれも気に入らないこれも気に入らない、あの頃はよかったぞと、呪文のように唱えても仕方なし、今あるカードでどう世界を面白くしていくか?

調和の一番の阻害は、「欲望」であるかと思います。限られた資源を奪い合った結果、誰かが富むということは、誰かが貧するということです。多くの国が貧困であるから、日本は豊かさを享受できているということです。偽悪的なことを言えば、どこかの国で誰かが飢えていてくれるから、私はこうして昼からネット上で、仕事の隙を見つけて、議論をする自由を行使できているというわけです。

「個人の確立」を、欲望と切り離すことと併せて出来るのであれば、「調和する」ということと矛盾することなく成立させることが出来るのかもなあと、思いました。
15148516:Re: 日本に希望はあるのか クリス_NK Home 2017/04/18 (Tue) 19:50:35
館山さんがおっしゃることももっともです。
それだけ実際に命を落とす人を作ってしまったのですから。
そういう状況に政治レベルを落としてしまったということを
為政者自身が何も気づいていないこととか、
更には為政者自身も命を失うことで解決する羽目になったなど、
血で血を洗うなんて悲劇になっているわけですし。
ただ、館山さんはその後起こった鳥羽・伏見の戦いをきっかけに勃発した
戊辰戦争についてはどうお考えなのかなと思う面もあります。
あれも、考えようによっては薩長をはじめとする倒幕精力による
幕府に対するクーデターですからね。
ただ、いずれにしても、近代化という側面において、
何かしらをぶっ壊す勢いってのはあってしかるべきです。
社会を変えるということに対しては、何かしら痛みを伴う、
為政者自身が痛みを伴わないことには改革などないと思いますから、
そういう意味での「民衆による革命」をする必要はあるかなと。
極端に言えば、2009年の民主党政権の樹立もそれに当てはまると思います。
私たち自身が変えなきゃ変えなきゃと思い、行動に移す、
その意味での革命は常に必要だと私は考えていますが、
館山さんがおっしゃるように、大正デモクラシーのような
「民主主義ってなんだろう?」を考えることをみんなでやる運動ってのも
広義の革命になるかなと思います。
そういう革命は否定なさらないかなと思うんですよね。

で、ハラダさんのおっしゃる「ひねくれものであるからして」の話ですが、
確かにその通りなんですよね。特に文化相対主義の観点からすれば。
昔こんなのを議論の種に取り上げたことがあります。
https://www.plan-international.jp/girl/special/index_s.html
最初は「なんだろう、なんでこう女性の扱いが低いんだろう」と少し憤りましたけど、
と同時に「これは欧米の価値観ならそうなんだが、現地の価値観ならこうなんだな」とも思い、
どっちが正しいのか、それに欧米の価値観を押し付けるのは果たしていいのかどうか……と
はたと考えが止まり、筆も止まってしまいました。
そういうこともあるのですから、文化について、自分たちの考え方が素晴らしくて、
相手のが劣ってるとか考えるのは、必ずしも正しいとはいえないのではないかと。
そう考えると、欧米って結構傲慢なところがあるのかもなとも思いますし、
一概に欧米を追随するだけがいいことではないのかもしれないと思います。

「あれも気に入らないこれも気に入らない、あの頃はよかったぞと、
 呪文のように唱えても仕方なし、今あるカードでどう世界を面白くしていくか?」
ここは完全に同意します。そのとおり、悔やんでも仕方がないんですよね。
人生って、将棋の駒で言うなら歩と同じでバックはきかない、
一歩一歩まっすぐ前に進むしかないわけですから、
前に進んでってどういう形にするか考えることこそが大事であり唯一のなすべきことです。
ただ、その「進む」ということに、先のことを想定しておいたり、
あるいはそのために過去の定跡や失敗形を学んでおくことは大事ですよね。
歴史を学ぶってのはそういう意味があると私は思います。
輝かしいものだけではなく、失敗したものをも学んで、
その上でこれから良くするためにどうするのがいいのか、
そういう想像性と創造性を学ぶための学問だと思います。
民主主義は欠陥だらけのシステムだが、現時点ではもっともマシなんて形容がなされます。
そのとおりで、その失敗例がファシズムをはびこらせたドイツ、イタリア、
そして軍部の台頭とその暴走を許した我が国の1900年代前半の有様です。

集団全体がより豊かになる上で個人の欲望が邪魔するってのは
よく社会学でも「共有地の悲劇」として話題になることですけれども、
自分さえ良ければの考えこそが私たちが暮らす社会を破壊し、
最終的に自分の首まで占めてしまうということを自覚しなければなりません。
15149184:Re: 日本に希望はあるのか 館山 2017/04/19 (Wed) 01:00:00
戊辰戦争に関しては鳥羽・伏見〜江戸城開城で大筋は決まっていますね。政体移行期の流血沙汰と表したいところです。会津含めた奥羽越列藩同盟の諸藩は幕府への不満の捌け口にされてしまったことは悲しいと思います。
流血沙汰と表すことについてですが、実際幕府は徹底抗戦をしようと思えばできたはずです。そんな中で国内が内乱になることを避けてあっさり降伏した慶喜は偉大だと思うのです。仮に戦争が長引いて3年以上続いていたとしたら外国勢力も入ってきて終戦の頃には虫食いのズタボロ状態になっていたかもしれません。
慶喜と同じことが士族という旧体制を抱えて滅亡した西郷隆盛にも言えると。

そんで話を戻すと革命が起きなかったのはやはり啓蒙思想がなかったからでしょうね。もちろん、思想家はいましたが、儒学を通じたものが多かったわけで。例外なのは原始共産主義を唱えた安藤昌益くらいですがこれも広くは支持されていませんね。で、なんで啓蒙思想が日本において目覚めなかったかと言うとキリスト教と仏教・神道の違いかな。中世ヨーロッパにおいては神が絶対的な存在でそれに懐疑・反発した結果生まれたのが啓蒙思想ですね。実際にフランス革命ではもう一つの旧体制である教会も破壊されましたしね。それで日本や中国、朝鮮にはキリスト教にあたるものはなかったと。現に中国では農民反乱で何度も王朝が倒されてますけど結局はその農民が皇帝になって元通り。革命には至りません。そして中国では今もその状態が続いてると思います。農民を束ねて革命を起こしたはずがその首領の共産党と毛沢東がやはり元の皇帝の後釜に座っただけです。辛亥革命後の軍閥時代〜中共の国連加盟までの中国大陸は戦乱やら鎖国状態で欧米の思想が入ってこなかった60年間はあまりにも大きい。
15150306:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/04/19 (Wed) 17:08:14
クリス_NKさん

>自分さえ良ければの考えこそが私たちが暮らす社会を破壊し、
>最終的に自分の首まで占めてしまうということを自覚しなければなりません。

その通りですよね。ただ、ここは個々の人生の現実とのバランスもあるかと思います。現代日本においての企業の役割は、利潤を生み、さらに利潤を追求することと、それを社員や社会に還元していくという2つがあるわけですが、結局それは極端な言い方をするとすれば、競合他社を蹴落とし、限りあるパイを奪い合うということです。私は仕事で、クライアントの商品をいかに売るかということを考えるのですが、例えば食品会社の商品であればどうしても「日本人の胃袋は限られているし、今で充分満たされている、飢えた人々は世界にたくさんいるのに、日本人相手に何をこれ以上売るというのだろう」という思いが去来します。とはいえ、そんなことをクライアントに言えば仕事をもらえなくなり、こちらが干上がってしまう。独身ならどうとでもなりますが、養わなければならない家族がいる人であればそれは死活問題となる。

自分さえ良ければ、とまではいかないまでも、自分の会社の売り上げを増やしたい、家族に「良い暮らし」をさせたい、そんな思いを--いずれその思いが社会を破壊する一因になり得るとしても--「それはちょっと違うよね」と評価する勇気は、私にはまだありません。

私の思う、日本に希望はあるのか、という問いの中の「希望」とは、日本限定の希望--日本さえ良ければそれでいいもんね、というところの--なのではないか・・・と少し寂しくなってきました。
15150322:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/04/19 (Wed) 17:25:39
館山さん

私は館山さんほど歴史に詳しくないのですが、日本に革命が起きなかった大きな要因は、天皇の存在だと思っています。時の征夷大将軍を討とうとした動きは何度かありましたが、天皇を討とうとする動きは、私の知る限り一度もないし(織田信長にその野望があったという説を聞いたことはありますが)、結局、天皇という存在を討たなければ革命というものは成立しないのではと思っています。ですので、私は明治維新は革命ではないのではないか? と思っています。あくまで素人考えですけどね。
15150623:Re: 日本に希望はあるのか 館山 2017/04/19 (Wed) 20:05:51
ハラダさんは天皇家は滅ぼすべきだという考えですが(違ったらすみません)、天皇家はブルボン家やロマノフ家のように統治権は持っていませんでしたからね。持っていたのは政治にしても宗教にしても完全な権威付けの存在。イスラムのカリフに近いのかな。天皇親政が行われたのは古墳〜奈良時代前期までと平安の延喜・天暦期と建武の新政だけです。そして、藤原氏やその後の武家は天皇から官位を授かることで統治権を得ていました。そんな中で天皇家を滅ぼすということは征夷大将軍の否定、延いては自己否定にも繋がるのではないかと(ここは想像です)
それと、天皇を滅亡させようとした人は日本史上いませんね。新皇を名乗った将門、皇位簒奪を図ったとされる義光にしても結局は自分が天皇になりたかっただけでこんなのは中華にはいくらでもありますしね。あと信長についてですが信長は寧ろ正親町天皇と仲が良く、信長が天皇家を滅ぼすと考えたことはなかったでしょう。皇太子を安土城で即位させる計画もあったくらいですし。

個人的にはやはり、キリスト教にあたる宗教的な絶対権力がないと啓蒙思想は成り立たず、民主革命も成り立たないと思います。
15151600:Re: 日本に希望はあるのか ハラダ 2017/04/20 (Thu) 09:50:49
館山さん

>ハラダさんは天皇家は滅ぼすべきだという考えですが

ひえーって感じです笑。私は「革命」というものを自分なりに定義づけてみただけであって、そんなことはまったく考えていないというか、むしろ皇室の滅亡は日本の滅亡だ、くらいに考えています。だからつまり革命とは、一度何かを滅亡させて、新たに国家としての物語を構築する、ということなのですかね。
15152089:Re: 日本に希望はあるのか 館山 2017/04/20 (Thu) 14:58:32
それは失礼、改めて詫びます