脱「愛国カルト」のススメ 常設掲示板



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15382941:議論における主観・客観の分離可能性について まなかちゃん 2017/08/04 (Fri) 00:59:36
 しばしば、議論において、客観的であることが適切であるとされ、個々の主観性の介入を良しとしないご意見を耳にする(または目にする)ことがあります。議論における主張が主観的、または客観的と判断されるかどうかは、主張を裏付ける根拠が提示できているかどうかで左右されているように窺えます。
 
 しかし、果たしてあらゆる主張から、個々の主観性を独立させることは可能なのでしょうか?例えば、何らかの統計学に基づいたデータを引っ提げ、自らの主張の根拠に説得力を与える努力を施したとしましょう。一見すると、その意見は話し手の脳内からのみ生成された言論でなく、裏付けの取れた客観的な主張であるようにも思えます。ただ、ここでの客観性を担保するものとしてのデータによる情報は、話し手の「解釈」という実践なしには、他者へ向けて発信する主張に落とし込むことは出来ないのではないでしょうか。故に、主体の思考過程を踏まえる以上、その者の主観性から逃れることは出来ないようにも考えられます。

 以上から、私は、客観性の獲得を目論んでも、個々の主張からその者の主観性は排除されえないのではないかと考えております。皆様のご意見はどうでしょう?宜しければご意見いただきたく思いまして候~。